2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。
川崎医科大学 学報 研究室だより
2008年12月25日
日中友好!
川崎医科大学衛生学では,2008年9月16日に中国山西医科大学公共衛生学院職業衛生教室主任教授,山西医科大学公共衛生学院院長をお務め 牛(ニュウ) 僑(チャオ)(Niu Qiao)先生をお招きしてセミナーを行いました。

講演中の牛教授

牛教授には「A comprehensive study on neurotoxicity of aluminum」というタイトルでご講演頂く(図1:講演中の牛教授)とともに,2008年1月から遼寧省沈阳から私どもの教室に来てくれている中国医科大学公衆衛生学部塵肺部門 陈莹先生には,陈先生がこちらに来られるまでされていた仕事内容を「TGF-β1 and lung fibrosis」として紹介していただき,また大槻が「Immunological effects of silica/asbestos」と題して簡単に私たちの教室の仕事の紹介を致しました。

今回,牛教授は大阪大学環境医学(森本兼曩教授)に Invited Professor として来日されていらして,国内のいくつかの大学でセミナー等に招かれてご講演をなさったり,大阪大学で大学院生や留学生の指導などをなさっていらっしゃるそうでした。1か月近く滞在されるとのこと,そして私も親しくさせていただいているので良く存じていますが,森本教授の教室には中国からの留学生も非常に多く在籍してらっしゃることもあって,森本先生がご招待なさった様です。

さて,実は大槻は牛先生とは2002年,2005年にもお出逢いしていました。

2002年は,国際産業保健学会(ICOH:International Commission on Occupational Health)には,いくつかの作業部会がありますが,その中のAllergy & Immunotoxicology Section (アレルギー免疫毒性部会)の国際シンポジウムを牛先生が主催されました。私は森本先生,現和歌山県立医大の竹下教授と旅程を共にさせていただいて,また現地では当時帝京大学薬学部大沢教授(現在は(財)食品薬品安全センター・秦野研究所)や産業医科大学高橋教授などとも一緒になり,楽しいシンポジウムを過ごしました(図2:森本教授(左奥),竹下教授と共にトランジットの間に訪れた北京市内でのランチの風景)。北京から空路1時間少し,山西省太源は山間の町ですが,100万以上の人口もあり,大槻にとっては初めての中国だったのですが,そのエネルギーに圧倒されるばかりでした。また牛先生の主催で非常にホスピタリティーの高い滞在を経験させていただきましたし,終了後の名所めぐりも長大な歴史に触れることが出来て感銘を受けました。

森本教授(左奥),竹下教授と,トランジットの間に訪れた北京しないでのランチの風景

さて,その後2005年に北京で第10回国際職業性呼吸器疾患会議(The Tenth International Conference on Occupational Respiratory Diseases:ICORD)が行われました。これは衛生公衆衛生領域の教科書に1930年に南アフリカのヨハネスブルグで開催された第1回世界じん肺会議が最初で,10年弱に1回開催され,この第10回の前は,1997年に京都で開催されていました。教室の研究を紹介する場としても適していますので,京都でも発表しましたが,北京にも西村講師,三浦先生(当時)と一緒に発表をしに行きました。その時は,2002-2003年に掛けて1年間,私たちの教室で一緒に働いた北京にあります首都医科大学からの研修生であった呉萍先生も参加されていて一緒に過ごしました(図3:呉先生(前列中央)と一緒に首都医科大学から,それぞれ解剖学・食道胃腸内科学に来られていた翁静先生(前列左)も,銭冬梅先生(後列左)も集まられて呉先生のお宅で餃子パーティーでした。写真の背景は首都医科大学)。そしてそのICORDのランチの場所で,呉先生が牛先生と旧知であったこともあって,牛先生とは再会した次第でした。

呉先生(前列中央)と共に餃子パーティー(首都医科大学から,それぞれ解剖学・食道胃腸内科学にこられていた翁静先生(前列左)も,銭冬梅先生(後列左)も集まられて呉先生のお宅で餃子パーティーでした。)

ご存知の様に,(現在は少し中断しているのかも知れませんが)本学では不定期ではありましたが首都医科大学からの研修生を受け入れていた経緯があると聞いております。

実は,衛生公衆衛生系を専門にされてらっしゃる先生の本学への研修希望が多いこともあって,衛生学では前植木絢子教授の頃より何人かの先生を引き受けておりました(参照衛生学HP 教室員紹介サイト内の歴代教室員一覧サイト)1992年に楊治先生をお迎えしました(平成5年3月1日発行の「川崎学園だより」に楊先生の「学園を去るにあって」の一文がありますのでご参照下さい)。

1997年には馬忠杰先生に来ていただきました(図4:盛岡での日本産業衛生学会ポスター発表の様子)。

盛岡での日本産業衛生学会ポスター発表の馬忠杰先生

彼は非常に精力的に研究をしてくれて,学会論文発表などもこなし・・・そして現在は米国で研鑽を積んでいます。今も新年の挨拶を取り交わしていますがフィラデルフィアで頑張っているようです。首都医科大学からはその後上記の呉先生です。呉先生も一緒に大分の学会に行ったりしましたし,論文発表もしてくださいました。そして,上記の様に私たちが北京を訪れた折には,本当に歓待してくださり万里の長城や紫禁城は云うに及ばず,会議の合間にいろんな処へ案内してもらいました。

さて,その間には大学が首都医科大学と関連を持っているように短大は上海医療技術工学院からの研修生を引き受けています。2000年にはその制度で来られた郭仲秋先生とも1年間一緒に働きました。彼女がしてくれた仕事も論文になりましたが,熱心に働いてくださいました。彼女もご主人の仕事の関係で米国に渡っているようです。

加えて,2006-2007年に掛けての1年では形成外科に来られていた董茂龍先生とも教室皆で一緒に働かせてもらいました。彼は中国で云う熱傷外科医で,これまで来られていた女性研究職の方とは馬力が違う印象で,思いっきり良く,かつご自身で創意工夫されながら沢山の実験をされていました。

中央右が董先生,左の補助員さんも含めて送別する会にて

そして現在の陈先生です。陈先生は,実はODAに関連した日中円借款にて基金の一部は中国人材育成事業として中国からの若き研究者を日本に派遣するという制度があります。そして,中国の種々の大学に割り振られ,大学内で研究者の選別が行われ,その上で研究者が留学先を独自に見つけて,その制度に則って留学するというシステムの様です。陈先生からは最初Eメールが届きました。彼女はその所属でも分かりますように塵肺に関連して珪酸曝露の動物モデルなどを中国でも研究されていて,また既に十分なランクの国際誌にも論文発表をされている優秀な人材であることは,その履歴業績を見るだけで判断出来ました。実際に彼女が私たちと一緒に働くまでには,先ずは理事長先生にご理解頂くことが必須でしたし,その他事務手続きのためにJICE日本国際協力センターの方とやり取りをしたり入国管理局に出向くなどの雑事もありましたが,それでも来てもらってからの彼女が熱心に実験をする姿や,人柄よく教室のメンバーとも仲良くやってくれている様子を見るにつけ,嬉しく思う毎日です。彼女は牛教授と彼女の沈阳での上司とが編者になられている教科書でも学んだそうで何故か倉敷の地で,素晴らしい出逢いにもなった様です。

この様にして9月16日のセミナーと大阪からの日帰りの牛先生だったのでランチを共にしたのですが,中国にはじん肺症例も多く,私たちが研究テーマとしております「珪酸/アスベストの免疫影響」についても共同研究の基盤を構築できるかも知れないというような話もして岡山駅までお送りいたしました。

ランチの後で記念撮影,前列中央に牛教授と大槻,左に陈先生
勿論,知己であります国内の多くの教室では非常に積極的に中国を初め東~南亜細亜や中近東の研究生を受け入れられている処もあって到底そこまでは及びませんが,大学内としてはそれでも「日中友好!」ではないでしょうか?・・・只,結局実験その他も英語でやり取りするばかりで,僕らの中国語は全く上達はしないのですが・・・(あれまぁ)。